場面緘黙 の実体験「話したいのに話せない」 場面緘黙 とは 

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こんにちは!ユウキです。

場面緘黙

 

今回は、 場面緘黙 という病気について書きます。

 

場面緘黙 とは、

人間として話す機能は備わっているのに(声帯などに異常はなく)特定の場面で声を出せない症状のことを言います。

 

例えば、

家族とは普通に話をすることができるのに、学校などの人前で話すことが苦手であったりだとか、全く声が出ないという症状などがあります。

またこのような症状の特徴もあり、ただの「恥ずかしがり屋」とか「無口な子」と思われ、病気として認識されないことも多いです。

それゆえに心無い言葉を、友達から、時には先生からも浴びせられたこともあります。

 


19歳までの僕の実体験 【 場面緘黙 】

場面緘黙

幼稚園児の僕

僕は幼稚園に通っていた頃から、話し言葉を使わなかったです。

 

そのためかあまり幼稚園の記憶はなく、楽しい思い出も少なかったように感じます。

その中でも楽しかったのは、木の辺材にくぎを打って物を作る時間でしたね(どうでもいいww)

なんか大工さんになれたようでとても楽しかったです。

 

とにかく喋ることができなかったので、先生には怒られてばかりでした。

 

例えば、トイレに行きたいときは悲惨でした(笑)

「トイレに行きたいです。」って言わないと行かしてもらえなくて。それでも僕は言えなかったので最終的に漏らしてしまったり、なんてことが多々ありました。

ほかにも、演劇の練習で僕が出る場面かどこかわからずに本番が始まるとかね(笑)

原因は質問できなかった自分にあるんですが、そのあと先生にこっぴどく怒られましたわ。

 

あとは、場面緘黙の人でも特に難関なのが、『本の音読』

幼稚園でも当然あったけどできなくて、、、その後鬼のように怖い園長先生のいる別室まで強制連行されていやいや読まされました。

確かそこで初めて園内で口を開けたんですよね。読み終わったら「よく頑張ったね」って鬼のように怖い園長先生にハグされて泣いてました。

 

まあ幼稚園時代にあまりいい思い出はないですね。( ノД`)シクシク…

ちなみに家族には普通にしゃべれてました。

ただ母親が幼稚園にお迎えに来て、周りに先生などがいると喋りにくかった記憶があります。

 

小学生の僕

小学生になっても相変わらず喋りませんでした。

入学式でも、自分の周りの人の名前が呼ばれてみんな返事していく中で一人”びくびく”しながら待っていました。

 

まあ順番が来ても返事しなかったんですけど(笑)

返事しないで立ち上がると周りから変な目で見られるし、先生も一時停止してしまいました。

 

なんで喋れないのか、自分でもその原因がわからず日々を過ごしていました。

ちなみに場面緘黙だった僕でも、首を使ってうなずいたり、身振り手振りでコミュニケーションをとっていたのでフレンドリーなほうだったと自分で思っています。

なので場面緘黙の人全員が「人とはコミュニケーションをとりたくない」は誤った考えです。

普通に笑いますし、吉本を真似た劇にも先生が「何もしゃべらない池乃めだか」役で出させてくれました(笑)

当時は恥ずかしいという気持ちもありましたが、今考えるとあの先生の対応は正直言って神対応だったと思っています。

ほんまに感謝しています。

 

でも小学校6年間は自我が形成されていく時期なので何も変わらないことはありません。

場面緘黙 という特殊な症状を患って僕の心の中で徐々に変化が表れ始めます。

 

小学生5年生くらいの時かな??

 

だいたいそれくらいの時期なんですが、「みんなと話したい、言葉を使ってコミュニケーションをとりたい」と思い始めたんです。

多分身振り手振りでのコミュニケーションが煩わしく感じ始めたんでしょう。

 

でも今まで話したことがない相手に自分の声を聴かれるのが恥ずかしいと思ってしまうんです。

 

この頃から自分がしゃべらない原因がわかってくるようになったんです。

ここからは苦しかったです。

 

喋りたいのに喋ることができない。

 

しかも6年生のときには卒業アルバムに「○○君って喋ったら絶対に面白いのに」って書かれたのが追い打ちのようにつらかった記憶があります。

今考えるとその子の一言がずっと僕の頭の片隅に残り続けていたのかもしれません。

 

中学生の僕

中学校の入学式でも例に漏れず返事ができませんでした。

 

小学校の時よりも『返事しよう』という気持ちは強かったんですけどね。ダメでした。

 

中学校に入ると部活に入ろうと思っていたので、卓球部に入部しました。

楽そうだと思ったのと、普通に楽しいと思ったスポーツだったからです。

 

ただ正直言って全然楽じゃなかったです。(笑)

最初の難関は顧問の先生でした。

初めて部活に遅刻してしまって、『なんで遅刻したんや』と聞かれてしまったんです。

それで言えずにいると、ついにブちぎれだして僕が泣いちゃったんです。

それで観念した僕は周りに聞こえないようなちいちゃい声で理由を説明しまして事なきを得ました(笑)

 

それから卓球部の同級生に「なんで喋らんの」とか「”あ”って言ってみて」とか言われ。

場面緘黙の人が言われる典型的な言葉ですよ。

しまいには、「喋らな帰さん」と半分脅されて初めて学校でしゃべれるようになりました。

 

ただ学校内といっても喋れたのはあくまで「卓球部の人」に対してだけです。

正直きっかけはいいものとは言えないです(場面緘黙の人に強要してはいけないです)が結果家族以外の人に初めて喋れるようになったので、その友達にはめっちゃ感謝しています。

 

めちゃ厳しい部活で卓球の技術と人間性をしごかれながら、最後の卓球の大会では見事県大会で入賞し近畿大会まで行けたんです。

あの時はめっちゃうれしかったなあ。あの顧問の先生やチームメイトがいないと達成できなかったです。

 

高校生の僕

高校生になると周りの人間はガラッと変わっていました。

受験もありますしね。

 

そこで僕はチャンスだと思ったんです。声を出すチャンスだと。

はじめて入学式でも返事しましたよ‼(笑)

周りの目は気にせず、「はいっ」って。ちょっと小さかったかもしれませんが。

 

学校でしゃべれるようになってからはめちゃくちゃ楽しい学生生活だったと言えます!

いままで自分の言葉を使って話せたらどれほど楽しいだろうと思っていたその何倍も。

ありふれた言葉ですが、見える景色が色づいたようでした。

 

高校でも卓球部に入りましたがもちろん楽しいですし、文化祭も✨

彼女もできましたし、高校生活まさに最高でしたね!!


僕の伝えたいことです

 

このブログを書いてきて思ったことがあります。

それは、

この病気に感謝しないといけないということです。

 

この病気になったことで、言葉を使えるありがたさ、もっと言うと人間らしさがよりわかったと思ってます。

もちろん克服したからこそ言えることですが、場面緘黙の人はあきらめないでください。

つらいのは分かります。というかつらいに決まってるんです。

 

喋りたいのに、喋れない。

 

病気の党本人が諦めてしまっては治る病気も治らないんです。

 

そしてそれと同じくらいに大切なのが、この病気についての理解をもっと広めることです。

日本国民全員がこの病気について知っていれば、場面緘黙の人が嫌な言葉をかけられることもなくなりますよね。

 

この記事を読んだ方にTwitterからどうしても拡散していただきたいんです。

僕のTwitterの固定にしておくので、どうかよろしくお願いします。

場面緘黙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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